サラリーマン時代

FXとの邂逅

2004年、私はFXという外国為替の世界に足を踏み入れました。
踏み入れたというか踏み込んでしまったというのが本音です。

当時、私はおそらく日本でいう所のエリートサラリーマンでした。
周りは超高学歴の人種ばかり。

私も同僚とおなじく毎日毎日深夜遅くまで働き、それなりに充足感や満足感あるいは優越感といったものはありました。しかし、短期の転勤や自分の考えや行動が属する組織の意向とは違っていた状況が続いた20代、私は何の後悔もなくその職場を去りました。

金融関連の知識は強く、グローバルかつ経済的感覚と経験値はそれなりにあると自負していたのがきっかけで、自身の生活を賄うべくFXトレードを始めました。それに、元職場の先輩がFXという投資をしていたという記憶も少しは影響していたんだと思います。

振り返ってみると、私がFXをはじめた当時はいろいろありました。

東日本大震災、自民党から民主党政権へ変わるビックイベント、定期的に行われる北朝鮮のミサイル発射、EUからイギリスの離脱、日本円が一方向に動くことに対する財務省や日本銀行による警戒措置(いわゆる為替介入)などなど、日本円にとっては為替を動かす要因だらけの時代だったと思います。

投資家の目線はとりあえず安定した日本円の価値に依拠した結果、超円高で推移し1ドル70円台で右往左往していたことを今でも強く覚えています。

とにかく戦後以降、日本という国は対外的に立場が弱く、今でもグローバルな経済面においても外国勢に振り回されているのです。

FXトレーダーとしてのターニングポイント

2020年現在、投資歴は16年経過しましたが、FXトレード初期の頃は大きな失敗も何度となく経験し数多くの挫折や苦しい思いも経験してきました。

FXを始めた当初は特にこれといった考えもなく、トレードの中身はとりあえず売ったり買ったりの繰り返し。ただ、それだけが私のできるFXトレードでした。

自分の単純なトレード感覚に思いを任せ、その場しのぎでエントリーをする。
「円高なんだから買いでいいだろう。」

そのようなトレードでは、勝つことはあっても気が付けば資金はほぼゼロ。

ゼロになったら少額の資金を入れる。そして、また買ったら相場は下落。地合いは下落なのに逆張りトレード中心の真似をしてはいけない典型のような取引しかしてなかったと思います。

負け組のスパイラルでしかない私のFXトレーダー時代でした。

現在では、そんな私も専業のトレーダーどころか、ちょっとしたファンドを運営しています。

なぜでしょうか?
どうしてだと思いますか?

その答えは単純明快。時代や当時の経済の流れが私を救ってくれた。
というか、FXトレードにおいて重要なことを気づかせ学ばせてくれたと言った方が良いかもしれません。

私がFX投資家としての転換期にあった頃、時代は民主党から自民党が政権与党へ返り咲き、超円高だった為替レートもアベノミクスの効果であれよあれよという間に円安に進み始めました。

ドル円のトレンドは強く上昇気流に乗ったことで、何となくトレードしていた私の投資家人生も好転の兆しが見えはじめました。単純にトレードの結果としてはそれだけが好転の理由でしたが、私なりに事後検証をしっかり行い、必ず詳細な記録を取るようにしたことが大きかったと思います。

これはのちのち必ず役に立つ。
自分の人生の財産としてのバックデータにしようと。

そして、そこから見えてきたもの。
それは、不規則に動く相場の流れも一定のポイントで上昇が抑えられたり、下落が止まったりする。相場にもリズムがあるということでした。

さて次回は、俺ラインと相場のリズムについてお話したいと思います。

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